10年目の朝

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今日2月1日はヒロッシーニがオープンした日です。
今日から、いよいよ節目となる10年目が始まります。
「今思うと本当に、あっという間の9年間でした!」
っと、よく言うそんな「あっという間」の9年間では決してなかった気がします。
だからといって、とても長い9年間だったわけでも…
ただ、僕にとってこの数年間(5〜6年)の記憶は、かなり曖昧でぼやけて見えます。よくある「あれって何年前だったっけ?」の『いつ』を思い出せない話しばかりで、そう思うと結局どんな9年間を過ごしてきたのか?自分でもわからず心配になります…

オープンして9年、そんなことを思い返し考えるのは実は初めてで、多分今日がオープンしてはじめて仕事ではなく、ゆっくりできる休みの朝だっただからかもしれません。コーヒーを飲みながら今日までの時間を振り返ることができる貴重な時間をもらえたのです。

そんな曖昧な記憶ばかりの僕でも、オープン1〜2年目のことは今でもハッキリと覚えています。それも毎日トラウマのように思い悩ませ後悔から得る成長というものをさせてくれます…

普通のサラリーマンの親の元に生まれ、自営業というものを一切知らずに育ち、温室のようなホテルに就職、そして独立前の5年間だけ個人経営のイタリアレストランで働きながら経営の勉強をさせてもらい、ようやく晴れての独立
今思えば料理的にも人間的にもかなり未熟な独立でした…

高校卒業後 全然佐久平とは離れた場所で働いていたので、当然今の佐久平という場所も誰かの伝手で見つけたわけではなく、大家さんもお世話になる不動産屋も初対面、店舗設計をお願いした建設屋さんも不動産屋の紹介で、ほとんどの業者さんも一から、当然テナントビル5店舗も「はじめまして中山といいます」のすべてが初対面の人ばかり、本当に右も左も分からない相談する人も誰もいない、そんなところからのスタートでした!

それでも佐久平の飲食業界を俺が変えるんだっと意気込んでいた(今となってはかなり勘違いな…)自分と、それ以上に厄介な僕の変なプライドの高さと無駄に負けず嫌いな性格、人に自分の考えを押し付けてしまう最悪の人間性が友人や先輩、そしてお世話になった方々やオープン当初からの常連のお客さんを僕の高飛車な言動で不快にさせ、怒らせ、たくさんの方を失いました。多分もう2度と来店されることないでしょう…

それでもその当時は「自分が正しい」と思い込んでいたのであまり気にはしてなかったのですが、沢山の時間が流れ、色々な方から色々なお話しを聞き、自分の愚かさを知り、それに重ねて順風満帆に見えるようですが、かなり厳しいここ数年の経営状況が自分の考えを改めさせてくれています。

そんな、今の気持ちをブログで書こうと思わせてくれたのが、先日読んだヒロッシーニの野菜でお世話になっている『久松農園』久松達央さんの書かれた本『小さくて強い農業をつくる』を読んだからです。

『常に100点のものだけ出す』でいいのか?…より抜粋

〜それでも野菜を勧めることが迷惑になるとは思わなかったので、そこは割り切って営業しました。知っている人に買ってもらうのは、甘えているようで、じつはかえって気を遣うものです。失敗できないからです。喜んで欲しくてやっているので、もともと手を抜くことはありませんが、悪天候や人為的ミスで「トマトが美味しくない」「きゅうりが入っていなかった」という類のクレームは必ず起こります。こちらは故意でなくても、お客様は悪意に取ることもたまにあります。
そんな時に、相手が知っている人だと、関係が傷ついてしまうのです。知らない人ならいいというわけではありませんが、知っている人に迷惑をかけるのは禍根を残します。特に立ち上げの頃は、技術不足からの失敗がさけられません。それが元で買ってくれなくなった人もたくさんいます。悔しく、申し訳ない気持ちを長い間引きづります。今では少しは慣れてきましたが、嫌なものであることに変わりません。
その気持ちを忘れないためにも、僕はこれまで野菜の定期購入をおやめになった方のお名前を全部残しています。顧客数で増えた今も、累積で見ると、やめていった人の数の方が多いです。たまにリストを眺めながら、「あの失敗のままで終わってるんだな。今のクオリティでもう一度チャレンジさせてもらえたなら」とウジウジ考えています。そんな昔のことなど、先方は覚えてはいないとは思いますが…

サービス業をずっとやっています。決して故意でお客様を不快にさせるつもりは少なからず今は毛頭ありません。ただ僕の言動で離れたお客様が僕のブログやフェイスブックを見てくれているとは思っていません。その方々がもう一度来店して下さるとも思ってはいません。
だからこそ、その後悔をずっと背負ってこれからも進んでいきたいと思います。10年目のヒロッシーニ、どうかよろしくお願い致します。 シェフ