『あたたかなスープを一杯』

2011年3月11日、東北を中心に襲った大地震『東日本大震災』
その震災から数日、日本中からたくさんの方が被災地にボランティア活動に行き、がれきの撤去作業や炊き出し、巡回医療などの支援にかけつけていました。
この佐久市からも色々な飲食店がキッチンカーなどを出し、被災地に炊き出しに行っていました。その時、僕は自分のお店のおかれている状況から、同じように現地まで行き、被災した方々に温かな料理をお作りすることはできませんでした…
ただ、まだ厳しい寒さの中、テレビの向こう側に見える被災地の方々に、どうしても「あたたかなスープを届けたい」という強い思いがあり、現実、炊き出しに行けないのなら、間接的だけど、ヒロッシーニにご来店くださったお客様に、「あたたかいスープ」を飲んでいただき、その代金を集めて義援金として送らせていただく、「それがいつか被災地でのあたたかなスープになれば…」と、そんな願いを込めて。
それから、約2年間『あたたかなスープを一杯』の活動をしてきました。

あたたかなスープを一杯

 

2024年、1月1日に襲った『能登半島大地震』4年ぶりに、コロナの規制のない新年を迎え、日本中がお祝いムードだった元日に襲った大地震…
佐久においては2019年の台風災害もあったので、じつに5年ぶりの自粛のない新年を迎えました
なんで、よりによって1月1日に…
もちろん地震災害なんてない方がいいのだけど、なんで元日に…と誰もが思ったこの能登半島の地震災害
皇室行事の一般参賀の中止が発表され、日本中が自粛ムードに…
「あけましておめでとうございます」という挨拶、お酒を飲むことや外食することが不謹慎な雰囲気になり…
まるでコロナが始まった頃に戻ったような自粛ムード

ヒロッシーニの2024年1月のご予約は、昨年のうちにいただいている予約のみで、年が明けてからいただいたご予約は、1月8日現在でも1件のみだけ…
地震の影響で新年会のキャンセルも数件、予約帳は1月7日から真っ白な状況になっています
昨日、配達で来た酒屋さんも、「新年というのにお酒の注文が全くなく、コロナの頃に逆戻りしたようだ…」と嘆いていました
コロナ禍では、誰もがコロナだけを悪者にして好き勝手なことを愚痴れました
決して、能登半島大地震で被災された方々の辛さや現状を見ないふりをして、せめて無事な僕らは普通に…そんな話しではなく、私の今するべきことは何だろう…?と、この数日ずっと悩んでいました。

先日、来店されたお客様から、石川県の飲食店の方がネットで発信していたという話を聞きました
「地震の影響で当面営業ができなくなりましたが、僕らは一日も早い営業再開を目指します。なので日本中が自粛ムードにならず、飲食店を支えてやってください。コロナの時のようにならないでください。どんどん経済を動かして、そして営業再開のその時が来たら、今度は北陸に復興支援でどんどん来てください!」

この言葉を聞いて僕の迷いは消え、冬野菜のミネストローネを仕込み始めてました
被災地のことを考えすぎて、「新年会にワインを飲みに来てください」など公式LINEに、こんな言葉を書いて配信することは、今はとても不謹慎なことで、むしろお客様を失うだろう、被災地の方が辛い時期は僕らも同じ日本人として静かに耐えるべき、そう思うようにしてましたが、この思いはヒロッシーニらしくないと気付かせてくれました

また『あたたかいスープを一杯」の義援金活動を始めることにしました。
『東日本大震災』の時とは少し違うけど
どんどんスープを飲みに来てもらって、ワインも飲みに来てもらって、その売り上げを義援金として送らせていただきます。
お客様の中に罪悪感がなくなるよう、しっかりと義援金を送らせていただきます
「それがいつか被災地でのあたたかいスープになれば」そんな願いを込めて

『あたたかいスープを一杯』
冬野菜のミネストローネの代金300円の他にボトルワインの代金10%、ディナー時の追加のデザート代金300円分を義援金としていただき、集まった義援金は日本赤十字社石川県支部に送らせていただきます

年末年始に帰省していたウチの娘が、地震の直後に富山県射水市に帰省しているお友達にLINEをしました「いま津波警報が出たから、家族みんなで車に乗って高い所に避難しているところ…」と返信がありました。数時間後、「家に戻ってきて無事だよ」とLINEが来てました
一年前の今頃、娘は富山の大学を目指して受験勉強を頑張っていました。もし合格して富山にいたら…そんなことも考えてしまいます

能登半島の震災に対し、心からお見舞い申し上げます
そして、どうか一日も早い復興をお祈り致します。