本当の意味での独立

  
あけましておめでとうございます。激動の一年も数時間前に終え、新たな年2016年も始まり、ヒロッシーニにとっては、いよいよ11年目が始まりました。

9月に足立夫妻が姉妹店ヒロッシーナを引き継いで晴れて夢の独立

本店ヒロッシーニにとっては、スタッフが入れ替わっただけの何も変わってない様に見えていますが、僕にとっても『本当の意味での独立』となった年になりました。

2006年ヒロッシーニを開業、その当時から10年間、ずっと一緒に働いてきた足立の存在は、僕のお店にとって、とてもかけがえのない存在でした…
仕込みは当然全部できますし、全ての料理も(オーダーも)作ります。僕のお店のように小さなお店では、料理以外にもホールサービスも当たり前のようにします。予約の対応やレジ、発注から買い出し、洗い物はもちろん、ゴミ捨てや床掃除まで全部…
そして7年前、高島健一がウチで働きだし、彼が慣れてきてからの この5年間は離職の問題もお店にはなく、自分と足立と高島が軸となって、優子さんやバイトが間に入り、本当に安定してお店をまわすことができていた時期でした。
その安定した時期のおかげで僕は、急な不幸や体調が悪い時も(あまり予約のない日は)お店をお願いをして休むこともできました。
少しずつ町や地域、学校の活動にも参加することができるようになりました。
そして、いつの間にか段々と理由はどうあれ、オーナーシェフ不在のお店に抵抗すら感じなくなっていきました…
そんな3年前、沢山の常連のお客様の反対の声を押し切って、自分の生まれ育った佐久穂町に姉妹店の『ヒロッシーナ』を開店しました。
決して、皆さんヒロッシーナの立地や料理などに反対していたのでなく、また自分がヒロッシーナのオープンに後悔しています…っといった内容のブログではありまん。
オーナーシェフ不在というお店が失う代償の話です。
ヒロッシーナをオープンする前から、自分が不在の日が増え、なんとなく常連のお客様が来店されなくなってきていました…
本当はこの時点で気付かなければいけなかったのです。もちろん転勤や引っ越しなどの理由だったのかもしれません。僕の不在関係なくパスタが伸びていたのかもしれません、コーヒーが冷たかったのかもしれません、はっきりとした理由はわかりませんが、この時に気づくべきだったのです。
それから、ヒロッシーナの開店が決まり、建設屋さんや業者さんとの打ち合わせで、ほとんどお店に立たない日が増え、ヒロッシーナオープン時には、1ヶ月間もずっと姉妹店に立っていました。
その1ヶ月間は本当にヒロッシーナにとってベース作りの大切な時期だったと今でも思っています。
それからも変わらず、事あるごとにイベントや集まりなどで、「シェフ不在」という文字が、ヒロッシーニの予約帳に当たり前の様に書かれるようになっていました…

そして2013年、オープンからはじめて売り上げが前年を割りました。そして2014年は、さらに割り込みました…
本当にヒロッシーニの経営が厳しい状況になり、真剣に閉店も含め 色々なことを考えました。理由だけでなく、当然 改善策も
そんな一年前の今頃(昨日までの12月でなく、その一年前の12月です)
年賀状を出すために、昨年の年賀状リストを見ていると、最低でも月に一度は来店されて下さっていたお客様が、ピタッとこの一年来られなくなっていました。しかも何人も…
気づいてなかったわけではありませんが、年賀状のリストでチェックしてみるとこんなにも…しかもその中には2店舗目の出店を反対されていた常連さんもいました…
楽しみに来店すると、今日もシェフは不在、予約の電話を入れると「その日はシェフが用事で…」っと言われ…
そんなことが何年間も続いたのです。

もともと、ヒロッシーナは足立夫妻に譲渡する約束で開業しました。経営が落ち着く頃の2〜3年で引き継ぐという約束で、重ねてヒロッシーナの店長だった足立の奥さんの勝恵の体力や体調なども考え、5月より足立がヒロッシーナに移動し夫婦で仕事を、そして9月に独立となりました。

そのおかげで、僕はもう足立に甘えることなく、毎日朝から晩まで休むことなく働かせてもらっています。
当然予約がなくても、毎日毎日お店に立たせてもらえています。
そして全てのお客様の料理を仕込みから仕上げまで、全部自分で作らせてもらっています。
当然、洗い物やゴミ捨て、床掃除も…笑
本当に、今更ながら本当の独立した気分です。
そして、10年経った今更ながら、毎日の料理が楽しいです。
そして、あれだけ体調を崩していた僕がこの一年一度も体調を崩すことなく働くことができました。
本当の意味で僕は、ようやく独立したのです。

決して、他店舗展開を否定しているわけではありません。他店舗展開はある意味才能です。僕にはその才能がなかったのです。
そして、ヒロッシーナのオープンも佐久穂町には大きな存在になったと、今でも自負しています。だからヒロッシーナのせいで経営が厳しくなったとも思っていません。僕が経営者として未熟だっただけなんだと痛感しているだけです。

信用を無くし失なったお客様に、もう一度来店してもらうことは、不可能に近いでしょう。
だから、それでも変わらずに来店して下さるお客様、そして、これから初めて来られるお客様ときちんと向き合って仕事をしていきたいと、昨年の5月に誓いを立てました。
それをきちんと貫いていければ、いつか一組くらいは、また来店して下さる気がするからです。
半年前、やむを得ない理由でお店を休む日はあっても、シェフ不在の日は、もう2度とないお店に変わりました。
11年目の始まりの朝、それを伝えたくブログを書きました。
もうすぐ10周年を迎えます。どうぞ本年もよろしくお願い致しします。 オーナーシェフ ・ 中山弘

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