畑にて
一昨日の日曜日、御代田の縄文ミュージアムへ
「スイミー」などの訳者で詩人の谷川俊太郎さんご本人による
絵本と詩の朗読会があり、子ども達とスタッフみんなで出かけてきました。
「もこもこもこ」や「これはのみのぴこ」などの楽しい絵本の朗読で
子ども達は大興奮。
そして代表的な詩(生きる・遺言・朝のリレーなど)を静かに朗読され
さすがにご本人の朗読となると、心に何かおいていかれたような
じーんとくるものがありました。
引き続き 第2部として谷川俊太郎さんと
佐久市望月の職人館の館長でもあり
料理人の北沢正和さんによる対談
“縄文にさぐる詩心・食べ心” を聞いてきました。
北沢さんが常々言われる 「食養」 という信念。
その食材の一つとして 「身土不二」
人間も含めて地球上の生き物は土から育った植物を食べて
生きているから、動物も人間も間接的には土を食べて生きている(~途中省略)
その食養のためには良い土壌で育てられた、昔ながらの農法
有機肥料、無農薬野菜そして野山に自生している山菜などを食べること。
私も料理人としてまだまだ未熟ですがこの北沢さんの
食に対する考え方には共感します。
その地で採れた食材を食していた縄文の食。
土からどんどん離れていく現代の食。
考古学的ではなく、一料理人として貴重な対談を聞かせていただきました。 シェフ
「畑にて」 ・・・これは望月の北沢さんの畑で谷川さんが作られた詩だそうです。
畑にて
泥んこの中から生えてきて
なんで大根はあんなに白いんだと言ったら
土の下から人参がわたしは赤いのよとのたまう
そばでアスパラはほんのり薄緑
日の光はもちろんお喋りなんかしない
そよかぜにくすぐられてヒトはほほ笑み
許されるままにアスパラをつまみ食いして
原子レベルで考えればこれは共食いじゃんかと
頭の中でらちもないことを思っているが
そんな頭はみみずにはまったく無用の長物
地面ていうのはもともとでっかいお皿で
上には食べきれぬほどの御馳走がてんこ盛り
人生は意味において不可解だとしても
味わいにおいては泣きたいような美味しさ
流れ星がゆったりおれたちを見下ろしている
大根も元をただせばビッグバンから生まれてきて
なんやかんや枝分かれして今や我らは人間
愛の究極は食うことだと手前勝手な理屈こねつつ
いくつになっても大地の乳房にむしゃぶりつく
(そんなこと言えるのも言葉あってこそ)
だが畑をぶらつくこの恵みのとき
言葉はアタマを通らずカラダに直結
ああとかおおとかうーんとか口ごもるだけ
かそけく都市に毛根を下ろすおれたち
せめて大根のごとき確かな脚をもちたいと願う
谷川俊太郎