『人とのご縁を大切に』

いよいよ2月25日、娘の目指す大学の受験があります。それに際して今月末、金曜日から3連休をいただきます。
お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、ご理解の程よろしくお願いいたします
受験の結果はどうあれ、娘は3か月後にはもう佐久におらず、どこかの街で暮らし始めます。どこに住んでも事故などなく安全に楽しく過ごしてほしいものです。

先週の土曜日、カウンターのお客様と(別々のご夫婦などの5名様と)数ヶ月後に娘が違う地で暮らすという話から、「移住するならどこがいい?」話しになり大変盛り上がりました。
ワインを2本3本と飲んでますから、『カウンターあるある』の最初から一緒のグループのお客様だったように馴染んで楽しい話しになりました。
本当に移住を考えているお客様もいて、具体的でした。その方は鎌倉や伊豆などの海沿いを考えているようで、下見にも行ってるみたいです。もし宝くじも当たったら「シェフのお店も用意するから一緒に移住を!」と誘いまで受けました…笑

お客様は皆様同世代だったので、いずれの免許返納も考えての場所選び、車が無くても大丈夫なところ、病院が近くにあって、スーパーやホームセンター、東京に行くこと考えると駅も近くにあってなどなど、今は元気でも10年後20年後を考えてのお話でした
(それなら佐久平でいいじゃんとツッコミたかったのですが…)

「シェフはどこに移住したい」と聞かれ
「僕は富山かな?」と答えました。
魚が旨いし、水も美味しいし、人は穏やかだし、立山連峰や富山湾、あげればたくさんあるのですが、いまは富山が一番です
みんなからは「佐久のような晴天は無いよ!年を取ってからの雪かき大変だよ」と突っ込まれましたが…笑
若い頃のように、東京や大阪、軽井沢に行きたいというのは全く無くなりました
僕の場合、移住イコール移転ですから、50歳を過ぎるとなかなかダルい話しになります…
5年前の佐久平駅前から岩村田への移転ですら、大変すぎて思い出すだけでもゾッとします
ただ、ここも(こてさんね自体も)いつまであるのかわからないから、移転に関しては色々考えていかないといけないです

岩村田に移転して丸4年、佐久平駅前で丸12年、おかげ様で本日17年を終え、明日より18年目を迎えます

先日、たまたま昔の料理雑誌を読んでいたら、『飲食店の生存率』という特集を見つけました。もう10年前のものなので数字は多少変わっているかもしれませんし、都市部と地方では異なるところもあると思いますが…
それによると飲食店の6割が開業3年未満に潰れていると言われ、飲食店の生存率は5年で30%、10年で10%、20年では5%未満と書かれていました! とんでもない数字です

オープンした頃は『10年を目指して!』何がなんでも頑張ってきました。たぶんずっと夢だった自分のお店をビビるくらいの借金をして、ようやく持って10年ももたないで潰したら、恥かしくて外は歩けないし、今更勤め人には戻れないしと、ただの安いプライドだけでやってきたような気がします
だからと言って、今はどんな気持ちで仕事をしているのかと聞かれると難しいのですが、20年を目指して!というよりも動けなくなるまで(もちろん普通に仕事ができる程度まで)厨房に立っていたいなという気持ちでやっています。
移転してから、カウンターが近くなったという物理的なものもありますが、本当にお客様との距離が近くなったと感じます。なので今は料理ももちろんですが、大切にしているのは『人とのご縁』お客様との出会いを大切に仕事をしています。
料理人でなければ、このお店でなければ知り合えなかった方が本当にたくさんいます。有名な社長さんとか芸能人とかそういうのでなく、ワインを通して素の自分で話してくださる方やたくさんの苦労を乗り越えて来た方、社長さんだけでなく、勤め人でも、若い子でも真面目に一生懸命仕事に取り組んでいる方、趣味をおもいっきり楽しんでる人など、ヒロッシーニでなければ出会えてなかった方がたくさんいます。そんな出会いという財産を大切に、動けなくなるまで厨房に立っていたいですね

それに重ねて、もちろんお店の支払いだけでなく、コロナの借り入れもきちんと返済し、子供達の大学やら車やら家やらの支払いもしっかりしながら、その中できちんと儲けをだしていく、そんな風にこれからはやって行きたいです

3年後、5年後 ヒロッシーニはどこでお店をやっているのか、全くわかりませんがとても楽しみです。
たぶん娘も、今は受験で不安ばかりだけど、春には新しい地で希望に溢れていると思います。

18年目のヒロッシーニもよろしくお願い申し上げます。

追記…
1階は15坪くらいでカウンターがあり、すぐにもオープンできる居抜き物件で、2階は住居になる!そんな物件がありましたらご連絡ください…笑 (この近くで)